21歳大学生の年賀状事情
年末恒例の年賀状準備.ハガキと印刷は前もって注文.稀にしか取り出さない万年筆で宛名と一言の挨拶を手書きしていく.他人の名前をバランスよく書くのに少し苦労して,新年こそは恥ずかしくない整った字にしたいと反省.
ふと思いました.「枚数,年々少なくなっていないか...?」と.
枚数が少なくなるのは寂しい
今年私が送った年賀状は30枚になりました.同級生22人,恩師8人です.地元から離れた中高一貫校に通っていて6年間友人が共通だったので,枚数に関しては一般的に見て少ない方だと思います.前年頂いた方に年賀状を送るという方針で毎年やっていますが,確かに年々枚数は少なくなっていました.
理由としては以下の3点が挙げられます.
- 相手が通知なく転居してしまい連絡先が分からなくなる
- 喪中等のイレギュラーがあり翌年から送りづらくなる
- 急に相手が送ってこなくなる
枚数が少なくなるのは寂しい感じがします.平成最後の除夜の鐘を聞きながら年賀状について思いを巡らせてみました.
年賀状が歓迎されないケース1
社会人の場合,「年賀状を送る」という行為は
- 新年もコネクションを保つため
- ビジネスマナー
といった大義名分が確保されていますが,学生の場合は
- 友好関係を示したい
の感情一点の表れだと考えます.この条件を満たす最適な通信手段として年賀状が認められれば良いのですが,手間と費用を考えるとそうでないことは明らかです*1.そもそも年賀状を送るような間柄ではLINEやSkypeといったテキストベースで即時に連絡が取れるような環境が整っているはずで,郵便,メールの時代から更に互いの心理的距離は近くなり,敢えて年賀状を送る意義は希薄です.自分の意図は相手の都合の良い時に伝わるようになりました*2.学生にとって年賀状は挨拶の手段ではなく送ること自体が目的になる訳で,その役割は平成の時代,インターネットにとって代わられたのです*3.
年賀状が歓迎されないケース2
もうひとつ,年賀状の枚数が増えない要因は個人情報の取り扱いにあると考えます.社会人の場合,
- パーティー等で招かれた際に住所を知る
- お年賀・お歳暮を贈る際に住所を知る
といった状況があり得ます.しかし,学生の場合は「友好関係を示したい」という理由だけで
- 「年賀状を送りたいので住所を教えて下さい」と尋ねて知る
のは最近,憚られるように感じます.自分が小学生だったころを思い出せば当時は「プロフィール帳」が流行していたように,住所を晒すこと自体に寛容な雰囲気はありました.時は流れ,情報をワンクリックで世界中に公開できるプラットフォームが充実.住所が他人に渡ることを危険視するまではなくとも,余り良しと思わなくなるのは当然です.動画配信者ならば住所流出は自宅突撃の可能性を意味し,引っ越しを繰り返す人もいます.
「相手の住所が分からなければ年賀状は届かない」という前提が存在する限り,新年の挨拶には手続きが簡素なLINEやSkype等の手段が喜ばれて選択されるはずです.
まとめ
デジタルネイティブの間では年賀状は形骸化して珍しいものになるだろうと予想します.私の場合はこのまま行くと10年で枚数半減期を迎えることでしょう.
自宅にインターネットがやってきたのは高校1年の時で,スマートフォンを持ったのは大学2年の時でした.早くから環境があった多くの方には既知のことだったかも知れませんが,比較対象になれるよう明文化しました.このエントリを読んで何か思うところがありましたらコメント頂けると幸いです.
おまけ
年賀状の宛名まで印刷される方に住所,名前を一度間違えられるとなかなか直してもらえませんよね.指摘しても次回までには忘れられてしまい...